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2008.3.15 賀名生梅花見ツーリング

2008.3.15
快晴である。
この天候で道路も雪も漸く溶けだした。
山の稜線に見えるは、雪を頂いた大峰山系だ。
取りあえず奈良県十津川を目指した。
ここには谷瀬の吊り橋がある。
吊り橋はパスして、大塔宮屋敷跡を散策。
屋敷跡は吊り橋を渡った先の里道を
右に下ればすぐにある。
もちろん車でも行くことができる。
谷瀬の吊り橋から、引き返して
賀名生の里へ行くことにした。
梅が満開である。
重要文化財の皇居。
賀名生(Ano)と読む。
その下に停めたR1−Z。
こんにゃく。一本100円。
谷に掛かる道路は、
五新線のバス専用道路。
賀名生分校跡付近から。
その昔、五條〜新宮まで
鉄道を通す計画が持ち上がり、
順次工事が進められた。
しかし、余りに難工事の為か
中止となった。
今では鉄道跡を利用して
バスが走っている。

ここで五新鉄道の歴史をば紐解いてみよう。
五新鉄道の歴史は大正8年(1919)にまで遡るのだ。
奈良県の五條町から和歌山の新宮までを結ぶ
鉄道が、五條町を中心とした地元有志によって
「五新鉄道既成同盟会」が結成され、
国に対して陳情が行われた。

しかし、すぐには認められず、昭和14年(1939)に
至って漸く起工式までこぎ着けたという。
発案からすでに20年が過ぎていた。

さらに事態は先の大戦によって中断を余儀なくされ、
実際に工事が再開されたのは
昭和29年(1954)だった。

ところがである。列車を走らせる軌道を新宮まで
着けることは容易ではなく、昭和35年には
暫定的に路線にバスを走らせる計画へと
変更を余儀なくされ、工事は一時中断となる。

昭和40年(1965)、再び五條から西吉野までの
区間にバス運行が開始され、
それでも路線延長計画は進められ、
昭和42から工事が再開された。

全面開通を目前にした昭和56年(1981)、
国鉄再建問題によって工事が完全ストップし、
現在に至っている。

バス停時刻表。
本数・・・少なっ。

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